パン屋考。言語のカーテン。

11月。近所のパン屋で考えた”言語”の力。

文化の”間”の緊張感。

言語が持つ包摂と排斥の作用について。


家の近所に行列のできるパン屋がある。地元住人から愛されるこの小さなパン屋は、ゆっくり店員と会話をする時間もないほどにいつも人で溢れている。2人の人間がソーシャルディスタンスを保つので精一杯くらいの手狭なパン屋である。「あれとこれをください」とだけ伝え、そそくさにディスプレイからレジへ蟹歩きでずれたら現金を渡してすぐに退散する。しつこいが、小さいパン屋である。

そんなパン屋で先日、ハングルで会話をした。

人気の食パンは予約をした方がスムーズに買える。ので、予約をする。その際に名前を告げる。「キムです」顔を引っ掻き回す息子を抱っこしながら名前を告げると「あ、え、韓国の方ですか?」と店員。わたしは余計なサービス精神で「네, 그렇습니다 (はい、そうです)」と返答。すると、店員の彼女の手がパタリと止まり、堰を切ったかのように彼女の口からハングルがドバドバドバと流れ出した。

内容は覚えていない。それほどに彼女の語りの勢いが激しくて。たぶん15秒くらいだったと思うけど、彼女はずっと話した。まだ日本に来て2年くらいと言っていた。前後の会話は日本語だったが、彼女の日本語は日本生活たったの2年と思えないほどに流暢だった。

「またちょくちょく来ますから話しましょう」そう言ってその日は店を去ったのだが。なぜだか、その狭い空間で数秒間ハングルの会話がなされた時の不思議な”緊張感”が尾を引いた。これがきっかけで、言語の力について考えたわたくし、月締め作業として11月の文章を綴っている。

 

文化の”間”の緊張感

なぜか、ハングルで会話した時にピリッと空気が張り詰めた感があった気がした。私と息子+店員の彼女のほかに、並んで待つもう1人のお客さん+店員の同僚、合計5名の空間だった。息子は暴れていただけなのでカウントしないとして、ハングルで会話をしたわたしたち(わたし+息子+店員)と、そのほかの2人(並んでいたお客さん+もうひとりの店員)の間に、なにか少しだけ、冷たい空気が走った気がした。

緊張感とも言えるし、バリアとも言えるし、シールドみたいなものでもあり、バブルのように本当は優しいものなのかもしれないけれど、目に見えない境界。見えないけれど、耳には聞こえる境目。「線を感じた」とも言えようか。話す言語が、コードが数秒間スイッチしだけで、なにかが区切られた。ことさら、狭い空間だっただけに線引きが明白なものに感じられたのか。あるいは、溢れ出した彼女のハングルが、あまりに無邪気に流れ出した水圧のせいで少し暴力的だった?からか。ハングルを全く知らない人からすれば、何か突然狭い空間に別世界を立ち上げられたような感覚があったのではないか。取り越し苦労かもしれないが、そんなところまでわたしは思いを巡らせてしまった。

東京都の統計では2021年現在、人口の8人に1人は外国人だというデータがある。それほど多様化した人口動態を有しているこの街で、文化的背景とは異なる人と出くわすことはさほど驚くことではないはずであり、みんなそういう文化の”間”を日常で経験していておかしくない。みんなもう、そういうことには慣れっこかもしれない。

海外から東京へ移り住んだ人だって、スマートフォンが普及したいま、母国の家族や友人とも常時接続できるし、やろうと思えば日本語を使わなくなって日本での日常を過ごすことだって可能なくらい、世界はデジタル化されている。実際わたしも英国で、家族3人で暮らし英語を使わない日もザラだった。買い物に行ったって交通機関を使ったって、全てクレジットカード決済。対人コミュニケーションが発生しない限り、当地の言語を発さないで生きていくことは容易な時代。グローバル化した社会のデジタルインフラは、言語依存度の低いものになっている。

だからきっと、パン屋の彼女だって、東京に住んではいるものの、日頃たくさんハングルを話している、接しているに違いない。日本でハングルを話す人間のコミュニティだってあるだろうし。

それなのにどうして、彼女はまるで何かに蓋をしていたものが外れたかのような話し方で、ハングルを話したのだろう。リアクションが大きいタイプな彼女なのかもしれない。でもどうしてあんな勢いで。わたしのハングルに対する回答に対して「あ、韓国の方でしたか。そうなんですね。」と、いう滑らかなシナリオもあっただろうに。

東京の渋谷という街の一角の人気のパン屋さんで必死に働く彼女にとってはおそらく、日本とか韓国とかどうでもよくて、パンの世界に没入していたはずである。一生懸命パンをつくっては売る仕事に、国家の存在など関係ない。パンという言語があればそれでよし。そうだったのに違いない。それなのに、言語がスイッチした時に見せたあの爆発はなんだったのだろう。

 

言語の排他性

ともかくお茶目な人だったのだと思う。素直な喜びから、第一言語があふれ出た。ところが、わたしは妙に看過できないものを感じた。異言語を聞いた側の心理が気になった。突然、別の言語が立ち上げられたことで生まれた空間の”歪み”が気になった。「なんだよ突然違う言葉で話し始めて・・・」みたいなムードをを、1%くらい感じた。

言語は通じ合うもの同士を近づける作用がある。裏腹に、通じ合わないもの同士の隔たりを大きくする作用もする。言葉は線を引く。突然見えない壁を立ち上げることがある。包摂と排斥の両方の効能を持っている。気をつけないといけない。

言語の排他性についてまとめているThe Conversationの記事が良記事だった。The Conversationは2011年に生まれた豪州発のメディアで、教育機関で働く研究者たちのとジャーナリストたちが協力し、専門性の高い情報を世間一般にわかりやすく説明することに挑戦しているメディアだ。

Language has become a tool for social exclusion 言語が”社会的排除を生むツール”になることについて。

以下、要約する。

・世界には7,097もの言語が存在しているが、そのうち2,464が消滅の危機に瀕している。23の言語を使用する人口だけで、世界の半数に登る。

・マルチリンガリズム(多言語主義)は、文化の出会いを育み、私たちの人生に新しい視点をくれる。しかし、ポジティブな側面の裏で、多言語主義の実践には大きな障害が横たわっている。

・EUは ”United in Diversity”の標語にならい、第一言語の他に二つ目の言語を話すことを市民に奨励している。しかし実態は、単一言語主義(monolingualism)の信奉は根強く「言語が一つに絞られていたが良い社会が築ける」いう見方はいまだに根強い。多言語主義は理想の姿として描かれても、現実的にはどうも疑わしいもので、かつその実践には「お金がかかるもの」いう見方が強く残っている。

・こうした価値観は、難民や亡命者の話において一挙に表出する。単一言語主義の主張者は、難民や亡命者に対してその国の言語での十分な読み書きレベルのスキルを要求することが多い。”言語ができないといこと”=”本人が新しい社会に溶け込む意志がないこと”とみなし、言語習得の努力が足りない市民を”悪い”市民、または”努力の足りない”市民という眼差しを向けることがある。

多言語主義。いろんな言葉が話されている社会を描くこと。それは良いよね、という感覚はあっても実践が難しい現実。何か”複数”のルールを保つには結構強い理性が必要で、管理や統治の側面からすれば、人間社会はなるべく単一、統合の方向に向かっていくのが常だ。二重国籍、夫婦別姓、副業、ポリアモリーetc… 個人が複数の選択肢を持って生きていける社会というのは、お上の視点からすれば煩わしい規則が増えるだけ、という悲しい現実がある。

そういう悲壮な現実感に負け、個人の権利を放棄していると、どんどん社会は一つの物差しを強要する方向に向かっていく。「日本語ができない人は、日本社会で生きる意志が弱い」」そんな見方にもつながる。そういうムードや思考回路は、これから新たなこの地に住む人たちに、必要以上の強迫観念をもってして、過剰な日本語習得に駆り立てることがある。

もしかしたら、パン屋の彼女のそうだったのか?日本に来て一生懸命パンと向き合って、でもパンに向き合うだけでなく、日本社会にはいることにも必死で。日頃、ハングルなんか全然忘れて日本語漬けになっていて。200%日本モードで仕事をしている彼女がいて。彼女が猛烈に必死な時に、不意打ちのようにハングルを話したせいで、彼女の母語というダムが決壊したのか?そんなことまで、思いを巡らせてしまった。

 

もとい。

言語にはそういう包摂と排斥の魔力があることは、思い起こせばこれまでの人生のいたるところで体験していた。

旅先の国の言語を知らずとも、トルコでメルハバと言い、ブラジルでボンジアと言えば、不思議と短時間に相手との距離を縮めることができた。笑顔とひとことのご当地挨拶を交わすだけで、両者のコミュニケーションはぐっと近づけることができた。言葉には包摂の力があった。

一方。常連の地元の蕎麦屋で、周囲に聞かれては不都合な内容を話す時だけ、音量を下げてハングルで会話をした幼い頃の母との会話。言語の排他性を逆手にとり、ひそひそ話をした時のことを覚えている。言語のコードスイッチングだけで、身体は日本社会に露出しているけれど、外国語を話す時のその空間だけはしっかり治外法権に守られている。そんな体験のことを思い出した。

言語には、見えない世界の壁を作り出す不思議な包摂と排斥の力がある。


2回目の月締め作業にして、力を入れ過ぎてしまった・・・もう少しリラックスして、大きく考えて、小さくアクションを積み重ねる12月にしようとここに記しておく。

言語の力のことを考えて、文化の間に走る緊張感のことを考えて。自分に何ができるかを考えると、自ずとそれは”翻訳”だと気づくようになる。

BABELOという活動名の由来は、旧約聖書の”バベルの塔”の逸話から引用している。天に近づこうと空にも届かんとする巨大な塔を建設する人間の傲慢さを見かねた神様が、塔をバラバラにしてしまうお話。各所に散った人間たちに神様は、異なる言語を与えた。”通じ合えない”天罰を与えた。そんな解釈が一般的な逸話なのだが。

わたしはそうは受け取らなかった。神様は”言語の違いを楽しむように”と、ひとびとに教えたのだと思っている。バラバラな言語を与え「違いの間を楽しみなさい」と暗示したのではないか。天に昇ることばかり考えないで、個別の違いや個性の差異紡ぎ、編んで、文化の間を、インターカルチュラルに橋を架けて、他者と繋がりなさい。そう教えたのではないかと思っている。

言語の不思議な包摂と排斥の力を巧みに使って、社会の血流の悪いところには血を通わせ、流れが強いところはその勢いを調整できるような、文化間の調整弁のような仕事をしよう。

翻訳家の柴田元幸さんの文章を読んでいたら「考えている暇があったら少しでも訳すといい」という言葉を見つけた。多言語主義とか多文化主義とか、そういう状態のことばかり考えていないで、身の回りの小さな文化の”間”に言葉で橋をかけていく作業をしよう。そんなことを思った11月。

2021年12月も少しずつ、進めていきます。

つづく。

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