異文化コミュニケーション。

ロンドンから東京に戻り二ヶ月が経った。先週、ようやく論文を書き上げた。いま自分の頭の中に流れていることを書き留めておく。新しい生活が始まるいま、文章を書こうと思った。自分の言葉を並べて、新しい発見や出会いが生まれたらこれ幸い。なんだか一生懸命考えてみたら、シンプルなところに落ち着いた思考の旅の話。
異文化・多文化”のこと / これからの日本のこと / コミュ二ケーションのこと について。 

“異文化・多文化”のこと。

二つ目の修士論文。結果は気になるが、既に不思議な充足感がある。大事なものに巡り会えた感じがある。ずっと探していたけれど、ずっと手元にあった。自分のカラダの真ん中から真っ直ぐに生えているもの。”異文化”や”多文化”について、考えること。

15,000ワードの英文を書くなんて、2年前の自分には想像もできなかった。丁寧に一語一語紡いでいく刺繍のような作業。夜中に手編みのセーターを縫う作業のようだった。縫ったことないけど。TextileとTextの語源について考えた。手編みは楽しい。苦しかったのは、誰のために何色のどんなセーターを作るかを決めて設計書をつくるところだった。編みはじめると、その作業はとにかく楽しい。

自分の仕事に作家性がないのが嫌だった。Agencyの仕事の作法を脱ぎたかった。変化が必要だった。ビジネスの世界では海外留学を志す多くの人がMBA取得を目指している様子だった。自分にはなんだかそういう気がせず、心にずっと錨を下ろしている ”文化” という言葉と向き合うことを決めていた。Humanityの領域で学び直した。Agencyで働いたキャリアをVertical / 縦積みに伸ばして行くより、Horizontal / 横に開いて別の人格を立ち上げるようなイメージだった。

論文の表紙。

論文の表紙。

”Portrait of Japan. Rethinking cultural plurality. - Ethnographic interview for transnational youth in Japan” がわたしの論文のタイトル。複雑なルーツを抱える若者世代へのインタビューを日本語で行い、先行研究についてのレビューと、エスノグラフィーの分析と洞察を英語で書いた。

いわゆるGenerationZと呼ばれる世代の10代/20代の10名へインタビュー。いずれも日本+ほかの民族や国籍を有する子たちで、ハーフやダブルあるいはミックスルーツと呼ばれることのある彼/彼女らと、生い立ちの話をした。インタビューといっても堅苦しいものではなく、国籍や民族といった複数の要素を抱えたみんなが自分のアイデンティティをどう捉えているのかについて対話をした。日本という島国、とりわけ単一民族史観の強い土壌で、複数の文化的要素を自分の中でどう扱ってきたのか。そういう話を扱うことが目的だった。これは自分がこれまでの人生でずっと考えてきたことで、仲間たちとたくさん話してきたことだった。そして、子育てをする中でもう一度考えることになるテーマだとわかっていた。自分の息子だけでなく、未来の日本を生きる世代にとって重要なトピックであると、学ぶ中で確信するようになる。

Portrait of Japan (β版)

エスノグラフィーという手法は、マーケティングの実践経験で馴染みの深い方法論だった。方法論より、理論を学べたことが大きかった。とりわけ、ホーミ・バーバーとジル・ドゥルーズに影響を受けた。探索を続けて行く中で、最も大きな気づきを与えてくれたのがハンナ・アレントだった。彼女が示した ”Plurality / 複数性” の概念が、自分が多様性という言葉に感じる懐疑心と合流し、曇っていた自分の問題意識の解像度を上げてくれた。この広い世界にも、一人の人間の内面世界にも、そこに存在する全ての人間/人格は優劣なくそれぞれ尊重されるべき存在なのだということを、アレントの複数性の概念から教わった。いかなる存在も、唯一無二の存在であり、全く違った存在であるという意味において、比較のしようなどなく、”複数性”ゆえに”平等”に扱われるべきである。そんな風に、考えるようになった。

この広い”社会”という入れ物も、”自分”という小さな器も、いろんな要素が集まって構成されている。その構成要素は複雑極まりないいろんなものや形の集合体でできている。そのいかなる存在も、みんなバラバラだという意味において、どの要素も押し殺されることなく、平等に扱われる方が健全だということを、アレントが言っているように聞こえた。

興味深いことに、インタビューはそれを証明してくれた。複雑なものを持っている人は、自分の中にあるその複雑さをみんな許している。どれかを押し殺したりしていない。それぞれの持ち味を認めて、そのままの形でいさせてあげているように見えた。自分の研究は結局、Cross-cultural Psychology という、移民心理学の領域にあてはまるようだった。そんなこと、始める前には想像もしなかった。母親が勉強していた領域に近づいてきた?不思議な旅である。


これからの日本のこと。

欧州が多文化主義の曲がり角を迎えている。そんなことを語る記事は多い。2000年代のオランダで、それ以降のフランスでドイツで、xenophobicな殺傷事件が相次ぎ、多文化共生の実現に向けたEUの挑戦はBrexitにより一つの大きな節目を迎えた。労働力としての移民に依存する経済の仕組みを持ちながらも、英国社会は離脱に過半数を投じた。移民をめぐる欧州の議論のムードは、多くのメディアが伝えている通り右派政党のマニフェストにあるような消極的なムードが優勢だ。

翻って、日本。実は日本も世界で有数の移民大国なのだ、というような記事は近年よく目にするようになった。自分の感覚値でも、少子高齢化が進み生産年齢人口が減少するこの国で、生活の足元は海外から渡ってきたひとたちによって支えられている割合が高まっている実感がある。移民と経済の関係は切っても切れない。経済を維持・向上させようとする力が働けば働くほどに、労働力としての移民の議論は前進するのが常だ。

一方、文化的背景の異なる人に対するこの国の人々の意識は二極化しているように見える。大坂なおみのようなオピニオンリーダーが人種差別に対する社会の意識変容に大きな影響を与える一方で、外国人に対するヘイトや日本的民族性に反するものを排除しようとする動きもインターネットを中心に多く見られる。

日本社会における多文化共生の問題。自分がどう関わったら良いか、いまいち定めきれずにいた。韓国にルーツを持ち、日本で育った自分の立場上、もっとも説得力を持って語れるテーマであると感じながら触り方がわからなかった。NPOの現場で複雑なルーツを抱えた若者/こどもたちの直接支援をしているソーシャルワーカーの友人の仕事を手伝いながら、自分にはなにができるだろうかと数年考えた。支援の現場で活動するモチベーションも技量もない自分には気づいていた。けれど、これからの人生のこと、次世代の社会のこと、自分が自分以外のひとへできること、を考えたとき、自ずと思考はこのテーマに戻ってきた。

一つめの修士課程に在籍しながら、もう一つの修士課程の奨学金に応募をした。Migration and Mobility Studies という領域を見た後、後ろ髪引かれるような思いがあった。”文化” という難解で巨大なテーマの前で、もう一つ自分の研究テーマを絞って行く必要があるとき、Migration/移民 に光が見えた。学びたい想いをそのまま奨学金の志願書に認めた。日本社会のこれからの多文化共生・移民の問題について、クリエーティブな方法で解決策を生み出していく活動をイメージしている、そう書いた。とても小さな民間のクリエーティブシンクタンクをイメージしている、そう書いた。日本から遠く離れた英国の教育機関にそんなことを書いたら、ブリストル大学は自分を奨学生にしてくれた。社会の課題を、従来の行政やオーセンティックな方法ではなく、なにかオルタナティブな方法で取り組んでいく、そんなことをイメージするようになった。それは文化や芸術の領域が担っていることに近いという意識もあった。ジャーナリズムとアートの垣根はどんどんなくなっているような見方をしていた。

論文と同じタイトルで Portrait o Japanという写真アワードを実施した。東京都主催の助成事業に採択され、今月頭まで渋谷を中心とする都内の屋外広告スペースに、日本の多様な姿を映し出すポートレート写真が掲載された。このプロジェクトは、その問題意識を形にした一つ目のプロジェクトだ。社会の意識変容にメディアが及ぼす影響は、10年以上広告会社に身を置いた自分にはよくわかる。”多文化共生”とか”ともに生きる”とただ言葉で伝えるだけではないなにか、立体的な方法で、人々の意識に働きかける仕事がつくっていけたらと思う。論文より、メディアコミュニケーションをつくることの方が得意だということも確信した。

アマナ社とMCDecaux社のみなさんの協力のおかげで初回を見事に実施できた。助成金のおかげで貴重な機会をもらえた。2回目からはどんどん新しい協力者を募って、趣旨に共感した人たち作っていくプロジェクトにしていきたい。少しでもなにかピンときた人、興味を持った人は、ぜひ連絡をください。どんな内容でもウェルカムです。この活動を通じた出会いを、楽しみながらプロジェクトを発展させていきたいと思っています。

コミュニケーションのこと。

改めて、自分の専門は ”コミュニケーション” 領域なのだと意識するようになった。話が通じない相手に上手な伝え方を考えること。まだ届いていない情報を適切な人に届けること。コミュニケーションの中でも、とりわけ国境を超えたり言語の壁を超えるとき、妙に面白さを感じることも再確認した。

新しい仕事づくりの一環でやってみたことがある。英国国立イノベーション財団のNesta発刊のDIY toolkit という資料を日本語化するということ。1年目の修士課程での学びがたっぷり詰まった資料でその価値を感じ、翻訳化に着手した。

Photo by Naoto Yoshida

Photo by Naoto Yoshida

DIY toolkitは、思考のフレームワーク集。ロンドン自宅付近のデザインオフィスとのご縁から存在を知った。Do it yourselfの精神で、地域社会・コミュニティ・自分の事業を立ちあげたいひとたちを応援するため、英国チャリティ団体Nestaがクリエイティブコモンズで公開している。8ヶ国語の翻訳バージョンの中に残念ながら日本語が入っていなかった。Nestaの国際イノベーション部のBenjaminさんと会話を重ねたのち、電通総研・中川 紗佑里さんの多大な協力のもと翻訳版が実現したです。Benjaminへのインタビューの際は、ライターの吉田直人くんの素晴らしい記事化のおかげで簡潔に情報がまとめられています。

コミュニケーションの仕事の中でも特に、言語を変換する仕事には独特の楽しさがある。今年は、日本のデザイナーの著書を韓国語へ翻訳するプロジェクトの相談も受けた。また、英国のまた別のチャリティ団体の活動の日本展開についてもサポートすることになりそうだ。国境や言語、文化の壁を超えてコミュニェーションが生まれる現場で、改めて仕事をしていきたいと思う。

Cross-Cultural Communication / 異文化・多文化コミュニケーション

↑このことばが、自分の活動の一つの旗印だ。結局、「異文化コミュニケーション」。なんともありふれた言葉。耳に馴染みがありすぎてなんの驚きもない。でもこれだった。生まれた頃から自分のずっと胸元にあり、誰よりも考えている自負があり、これからも向き合っていきたい対象。こんなに当たり前のようなことに立ち返るのに、こんなに時間がかかった。でも、時間がかかっているから不思議な安心感がある。36歳のわたくし、新しい気持ちで始めます。自分の背負っているものを、誰かの役に立てたいという想いで。

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