どうして”文化”を学びの対象に選んだのか。

18歳だった当時の自分が大学宛てに提出した志望動機書の中に「互いを尊重しあえる社会」「異なる立場を理解する力」という言葉があった。当時は異文化コミュニケーションが自分の関心領域だと定義していた。やっぱりずっと「文化」があった。少し言い換えるのならば、「違い」に興味があったのかもしれない。”文化”という言葉の本質に迫ろうとする時、必ず「違い」の話が立ちはだかる。そもそもの自分のモチベーションは、日本社会における自分の存在の「違い」に端を発しているのだと思う。たまたま周囲と使う言語が違いがあったこと、たまたま周囲と国籍が違ったことが、ぼくの考え方に大きな影響を与えた。”文化”なるものへの強い興味を生む源泉となった。


教科書的に、画一的に、”文化”なるものの定義を理解できたらどれだけ楽だろう。文化を定義しようとする時、Cultureの正体を暴こうとする時、つかもうとすればするほど逃げていくような感覚を覚える。目の前に顔すら見えないほどに背の高い巨人が立ちはだかったような、そんな想いを経験する。文献をあさる中で、「世界で最も定義が難解な言葉の一つ」という表現に巡り合った。面倒な言葉をが自分の関心領域となったのは、その複雑性ゆえの強い引力だったのだろうなと、年を重ねてからわかるようになってきた。

Culture [...] is a study of perfection. [...] seeks to do away with classes; to make the best that has been thought and known in the world current everywhere; to make all men live in an atmosphere of sweetness and light [...]
— Matthew Arnold

英国で発達したCultural Studies / カルチュラルスタディーズという学問領域は、いわゆるポストコロニアリズム(ポスト植民地主義)の流れを汲んで生まれた学問だ。西洋の歴史的文脈になぞらえて、自分たちが植民地主義で行ってきたいろんな出来事を批判的・反省的に見る姿勢をとる学問だ。カルチュラルスタディーズの論客たちが何かを語る時、正直言って、「もっとシンプルに言えばいいのになんでこんなに複雑に話すんだろう・・」最後まで、そんな印象を持った。でもそれは、複雑なもの中に宿る小さな声たちを大切にしようとする姿勢の表れなんだなと、そこに意味を見出そうとする姿勢がアカデミズムなんだなと、のちに気づくようになる。煩悩に塗れていた大学時代の自分、広告ビジネスの前線で損得勘定が価値判断基準となっていた自分の脳ではわからなかった。


カルチュラルスタディーズの先駆的な存在はStuart Hallというジャマイカ系移民の英国人だ。彼がその学問の存在を押し上げることの功績を多く讃えられ、ぼくが選んだGoldsmiths, University of Londonには彼の名前を冠した校舎があり、ぼくはコロナ禍でリモート授業へ切り替わるまで、そのビルに通い学んでいた。

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