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一年半ぶりにロンドンを訪れ、存分にノスタルジーに浸り記憶を刷新してきた。2020年と2021年のロックダウンの日々。ゴーストタウンに変貌した異国の地で家族三人で隣人たちと静かに暖かく暮らした記憶は奇妙にも時の経過とともにその発酵を増し、いつしか自分にとって人生の宝物のような時間になっていった。きっともうあんな純粋な時間は戻ってこないだろう。いつかの甘酸っぱい恋の思い出に考えを巡らせるかのように胸がキュンとするのである。ジェンダーを持ち出すのはなにかと問題だが、こういう追憶は湿っぽい男子的思考の代名詞である。

出張から戻る機内で文章を書いている。子連れ学生の身分を卒業しビジネスでこの地に戻るのは感慨深いものがあった。過去の恋の呪縛を解くかのようにひとり思い出の地を回った。コロナが見せてくれた幻は、魔法は、これで終幕。あのかけがえない時間をもう一度大切にしまって、37歳最後の日の今日、その心中の記録と近況報告を目的に文章を書いてみる。


数年前の出来事。「独立は37歳の頃が望ましい」ソウルの四柱推命の占い師にそう告げられた。超自然的なものをむやみに信じるタイプではないが、この占い師は初見でわたしの顔を見るなり「過度の飲酒に気をつけろ」という的確な忠告で私の心を掴んだ人だった。それもあってか37歳はずっと胸の中にあり、結果その年齢でキャリアは一つの大きな節目を迎えた。

計14年勤めた会社を退職したのは去年の夏のことで、お世話になった前職の方々には可能な限り挨拶をしてきた。案内を届けられなかった社内外の方々にはこの場を借りての報告としたい。在職中は大変お世話になりました。何も知らなかった22歳当時の若輩が、37歳を迎えるまで多くを学べた電通という存在、ひとつひとつの出会いをくれたその環境に心から感謝している。新しい環境でいま、過去の仕事で得た経験と知恵に支えながらいまわたしは生きている。前職で培った筋力をますます増幅させ良い仕事をつくることで暖かく送り出してくれた人たちの気持ちに報いたい。

 

2022年9月から、わたしは英国の新聞社Financial Times(FT)内の戦略コンサルティングユニットにSenior Consultantとして東京から参加し勤務している。世界的に縮小傾向の紙購読の実態を前に、デジタル化が急務のジャーナリズム産業。他社に先駆けデジタル化にいち早く成功した実績と自負を持つFTが、その経験とノウハウを他社へ提供していくことメディア発のコンサルティングファーム。発足以来順調に拡大を見せ、昨年からスタートしたアジア展開の初期メンバーとして有難くも声がけ頂き参加している。

昨年2022年は日本の地方新聞社に対しデジタル化のノウハウ提供の講座を開催してきた。2023年も同様のプロジェクトが日本のみならずアジア各地で開講される予定で、今年もわたしは日本を中心に韓国や台湾へのプロジェクトを展開していく。この内容を見て興味関心を持った方は気軽にお声がけください。一緒に仕事をつくっていける方を探しています。

FT Strategies へのリンクはこちらから。

 

コンサルタントとしての仕事の傍ら、翻訳出版を実現させることが本年の一つの大きな目標である。1974年出版の”A Seventh Man”という英書の日訳で、欧州移民労働者の実態を写真と文章、時に詩を交えながら批評した英国の作家 John Berger の著作。息子を寝かせた後に論文執筆にあたるロックダウン下に開発した筋力を総動員し、コンサルティングワークののち夜な夜なセーターを編むように翻訳を進めてきた。実現を後押ししてくれている出版社や編集者の方に最大の感謝を表しつつ、その方々の期待を裏切らぬよう著者の言葉と向き合い翻訳を進める。翻訳という創作。この仕事によって誰かの人生に救いが生まれたらと願い作業を進めています。

A Seventh Man” by John Berger

2017年に逝去した John Berger の晩年に迫ったドキュメンタリー映画 “The Seasons in Quincy“ の撮影クルーと話をしてきた。

 

わたしは漕ぎ始めの小さなイカダ。一昨年の帰国以降は静かにコンサルティングワークと翻訳に集中して仕事を進めてきたが、今年は昨年より間口を広げ、とは言え自分の信じる価値にはより忠実に、集中して実績を作っていきたい。”自分の信じる価値”とは何か?

 

Create new. Beyond differences. Respect each other. 

違いを超え、新しい価値観をつくる。互いを尊重し合う。

 

またしても何の驚きもない平坦な言葉。でも、そこに真実を見ている。30代中盤の自分が再び捕まえた”異文化コミュニケーション”という慣れ親しんだ価値。おもむろに年末の大掃除で整理した20年前の大学AO入試の志望動機書の中に、探していた答えが書いてあった。「違いを越えて、新しい共通認識をつくりたい」日韓関係のしがらみを越えるために、当時18歳のわたしはそう思っていたようだ。若い頃はおおよそ人生において大切なことが見えていて、大人になる過程で現実という分厚い雲でそれを失いがちだ。あるいは、弱かったわたしは当面その価値と向き合うことを逃げていた。20年という歳月を超えてもなおその18歳の言葉には重みがあり、あまたの違いを超えていくためには「新しい何かをつくるしかない」そう書かれていた。過去の自分に背中を押さえれるとは思いもしなかった。”異文化コミュニケーション”の本質に、創造-クリエイションを見る。昨年末、家族で過ごした奄美大島でその言葉を反芻しながら、ようやくBABELOという活動母体のミッションステートメントが見えてきた。遅いのだけれど。それでいい。

 

そんなわたしをいつも支えてくれるのはこのひとたち。4歳になる小人と、最愛の人。38歳を迎えるわたくし、ますます大事なものと向き合っていく覚悟と決意で文章を書いてみました。だいぶ遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。最後は年賀状のような締め方で。そして今年もみなさまどうぞよろしくお願いいたします。

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“Language is mobility“