修士課程修了。メリークリスマス!

Variant(変異種)の猛威によりおそらく史上まれにみる暗いクリスマス!となったロンドンより・・些細ながらひとつだけ自分にとっての吉報。

昨年9月から1年間学んだロンドン大学ゴールドスミス校から正式に修士号授与の連絡がありました。今年は卒業式も何もかも延期ということで、大変さっぱりとした連絡ではあるのだけれど。(おっさん学生のぼくは良いとして、20代前半の子たちは卒業式がないなんて可愛そう。)

30代中盤で、家族を連れて大学院生になる決断をした。「アツいね!」「いいね!」という声から、「自分探しするね~」「迷ってるね~」など、いろんな声をかけてもらった。どれもこれも自分の考えを確かめるきっかけになりました。いろんなリアクションをくれた人に心底感謝しています。

0 なぜこの歳で”大学院”へ通うことにしたのか。

年齢を重ねるごとに”卒業する”体験って少なくなっていく。学位とかあまり興味無いと自認するぼくも、意外とこの連絡が嬉しかった。認められることって、嬉しいもんなんだな。コロナで3ヶ月のロックダウンを経験し、全てがリモートになり、日中こども家の中で生き抜いては、夜中に地道にリサーチしてエッセイなり論文を書いた成果を認めてもらえたからか。自分なりに努力をしたんだ。それを認めてもらえたんだから嬉しいに決まっている。そういえば、こういう手応えが欲しかったのだった。自分の貯金をはたいて取りに来たのだった。そうだ、嬉しいに決まっている。

留学を決めた時、自分の気持ちからまっすぐ生える分野?みたいなものを選ぼうと決めていた。自分にしかできない仕事や、自分の情熱から生える問題意識?みたいなものに向かっていこうと思っていた。そうしたら、このコースになった。Goldsmiths, University of London, MA Creative and Cultural Entrepreneurship : Media&Communication Pathway (文化創造起業コース・メデイアコミュニケーション専攻みたいなことかなと思います)

Cultural Entrepreneurship / カルチュラルアントレプレナーシップ という言葉についてのご縁は、以下のエントリーにまとめています。

1 “カルチュラルアントレプレナーシップ/ Cultural Entrepreneurship“とはなにか?

また、そのほか学んだ内容を噛み砕いて記事にしているものをまとめておきます。もし関心のある方がいたらいつでも気軽にご連絡ください。たとえば、5にて触れたツールキットはいま、日本語と韓国語訳版の話をNestaとしています。Creative な Cultural な事業創造とかについてはきっとなにか自分ができること、提供できるものができたのではないかなと思っています。そういう思いを持っている人がいったら絶賛エンパワメントしますので教えてください。

2 1985年のロンドン産業戦略 / London Industrial Strategy in 1985.

3 “文化政策”の学びで得たもの。

4 “文化資本”の話。おそらく、お金で買えないもの、の話。

5 “アントレプレナーシップ/起業家精神”の誤解。

記事にはしていないけれど、最後の論文プロジェクトは「日本の多様性」について論じました。「日本の2010年以降の文化政策は、日本国内の多様な文化のあり方に寄与しているか?」という問いを立てて、自分が馴染みのあったマーケティングの世界でよく使われる”PEST分析”と、システム思考で必ずと言って出てくる”因果関係ループ図”を用いて、分析をしました。

論文を書くプロセスは、12年間培ってきた仕事とは真逆の筋力を要しました。クライアントワークにおける”プロデュース”や”プロジェクトマネジメント”は、問題解決が命題であり、複雑に散らばっている問題をどう整理してシンプルにするか、あるいは広く効果的に伝えるにはどうしたら良いか、最大公約数を探す力みたいなものが求められます。無駄をなくす、わかりやすくする、効率を意識する。そういう動き方が、自分の習慣となって染み付いていました。

ところが論文がその真逆と感じたのは、なるべく多くの「視点」や「角度」を足していく作業だと感じたからです。はっきり言って、結論を言おうとしたらたぶん10秒!で言える答えにたどり着くそのプロセスを、先行研究やあの視点この視点を引っ張り出し、立体化していく。contextualise/文脈化していく。あえて複雑性に向かっていく?ような感覚があって、最初は慣れない筋力を動かすのにだいぶ混乱しました。

まだまだ論文を書く力はヒヨコですが、アカデミズムの世界が何を大切にしているのかは自分なりに理解できました。これからはその二つをうまく使い分けていきたいと思います。そもそも30代中盤でもう一度学ぶ必要があると感じた理由はこの辺にあった。自分が慣れ親しんだプロデュースとかマネジメントからは自分が満足するものは生まれない、新しい価値観を生み出すことができない、そう感じていたことを思い出した。

コロナで静まり返ったキャンパスに忍び込んだわたしとその相棒。

コロナで静まり返ったキャンパスに忍び込んだわたしとその相棒。

いま思えばゴールドスミスはやっぱり面白い学校で、これまた自分が生きて来た広告会社のような環境からは地球の裏側と言えるような部分があり(イデオロギー的に、、、)それがまた新鮮だった。とっても強い”アンチ”の精神を持っているし、なんだろう、もうとにかくひとぞれぞれなのである。変な奴がいるのである。オンライン化がニュースタンダードになってしまいそうな今の大学の状況を憂うならば、キャンパスでそういう狂ったよくわからん友達ができる可能性が減ってしまったことだ。

19のころ、雑誌Esquireを読んで彫刻家のAntony Gormlyの記事を見つけ、この大学の存在を知った。妙に惹かれた。実際通ってみて感じる、この大学が持っているスピリッツを形容する言葉を選ぶとするなら、”Grassroots/グラスルーツ” という言葉を選ぶ。雑草魂があるとういか、媚びないというか、まぁみんなゴロツキなんだけど、ひねくれてんだけど、強くて優しいというか、市民の味方というか、そういう感じ。アートスクールとか、美大という言い方も時に目にするけれど、ぼくはそういう風には捉えていない。ものすごい順目のリベラルアーツだし、人間が生きていくために大事な価値を教えてくれる場所なのだと思う。それを伝えるさまざまな方法論が、映像であったり言葉であったり彫刻であったりペインティングだったりするのだと思う。

というわけで、2020年のクリスマスを目前に晴れて大学院卒となりました。静かに変異種の動向を見守りながら、二つ目の修士号とシゴト作りにコツコツ励みます。みなさまよいクリスマスを!

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Direction 2021.

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複数性、アイデンティティ、文化変容。