“アントレプレナーシップ/起業家精神”の誤解。

“アントレプレナー”とか”起業家”というと、なんだかリッチな暮らしを想像してしまう。これは明らかに偏見だ。日本ではきっと、ITバブルの時代にメディアがこれらの言葉について偏った見方を助長したのかもしれない。その影で、先だって紹介したカルチュラル・アントレプレナーという言葉もあれば、その前提となるソーシャル・アントレプレナーという言葉もある。接頭辞が踊るその言葉を見ると、なんだか”アントレプレナー”自体がそもそも行為の目的を失っていたのかな?なんて思ってしまう。”アントレプレナー”や”アントレプレナーシップ/起業家精神”ってなんなんだろう。

先日、逗子に住む友人からリモートで相談を受けた。LINE通話をしながら彼の話を聞いていると、一風変わった自分の仕事を周りの人にどう説明すべきか考えているようだった。聞いている限り(乱暴な言い方だが)クリエイティブなことをしている。ただし、絵を描く・文章を綴る・映像を撮影するといった実技レベルの制作ではなく、”新しいこと”、大げさにいえば新規事業開発のように聞こえた。その新しい”なにか”の創造において、彼は広告的なツールを使ったマーケティング支援はもちろんのこと、それ以上に”新しいことを始める機運”や”モチベーション”とか、そういう”見えないもの”も含めて設計したり手伝っているようだった。この、説明し難い暗黙のスキル。見えないがゆえに他者への説明が難しい。「”アントレプレナーシップ”のトレーニングや、教育をしているんじゃない?」と、伝えた。あながち遠くはない、という回答だった。

リーダーシップ、オーナーシップ、フレンドシップ、キンシップ etc… この最後にシップがつく奴らは、だいたい見えない。関係性であったり、精神性であったりする。”シップ”は見えない、と結論づけることにしたところで”アントレ”と”プレナー”の方はどうだろう。”アントレプレナー”の語源はフランス語にある。検索すれば大量に出てきます。”entre”が”between”を指す接頭辞で、”preneur”は”taker”を刺す名刺だそうな。ダイレクトに訳せば”間を取り持つ人”とういことになる。なんだか代理店みたいでよくない印象だ。ここで、シュンペーターがイノベーションの理論を持ち出すと、、イノベーションつまり新しい経済活動の源泉は”新結合”にある。”アントレプレナー”は、その新しい”結合”言い換えれば”出会い”の間を取り持つ人のことを指す、と考えれば語源に対する理解も深まる。

”アントレプナーシップ”を語るにはぼくはまた役不足です。数々のNHKのドキュメンタリーや書店に並ぶイノベーション本がたくさん解説してくれます。自分の場合、なるべく日本語で紹介される文脈から抜けたかったので、2011年にStanford Business Booksから出版されたこちらを読んだ。

The Entrepreneur: Classic Texts by Joseph A. Schumpeter

というのも、どうしても日本で”アントレプレナーシップ/起業家精神”が語られる時、おおかたが”企業”目線な印象だ。持続的な企業の成長のためにどんな刺激剤が必要か?という問いに対して、”アントレプレナーシップ/起業家精神”が駆り出され”イントレプレナー”という言葉が紹介されるのを見ては、自分自身も企業に身を置きながらどのようにこの精神性を導入して仕事を作れるか、トライアルを続けてきた。

ただ、学びの場を通してこの言葉を“企業”から”社会”目線に変えて捉えてみるとまた違う光景が広がった。そもそもシュンペーターがどんなことを考えていたのか。上述の書物やほかの文献で読む限り、彼は一貫して”経済発展”において重要なルールはなんなのか、をずっと考えていた。で、行き着いた答えの一つが”アントレプレナー”の出現だった。経済が永続的に発展していくためには、新しい仕事を生み出すひとが必要だということ。新しい仕事とは”イノベーション”であり、まだ出会ったことのない何かと何かが”新結合”することが、その仕掛けであると説いた。そして、その新しいことにチャレンジする姿勢や気概の部分を”アントレプレナーシップ/起業家精神”と呼んだ。改めて、精神論なのである。どれくらい儲ければ起業家合格です、なんてものさしなどなく、サイズの大小関わらず、幾多の個人が自分の精神と手足で立ち上がり経済行為を編んでいく光景、そこにシュンペーターは”経済発展”の可能性を見出した。むしろ、小さなビジネスがあちらこちらで生まれることを歓迎し、”Small is beautiful”とすら言った。

「日本の起業家の数は、先進国の中で指折りに少ない」という話は聞かれて久しい。日本の低起業家率は、検索するとごまんと出てくる。面白いことに、その低さの原因をなす要素を分析するGlobal Entreprenurship Monitorのレポートによれば、「失敗への恐れ」が日本では俄然高い点が、他国との比較で顕著に指摘されている。また、数値には現れづらいが「起業よりも企業勤めの方が信頼される」そんな社会構造も大きな理由と説く論文も多くある。

Global Entrepreneurship Monitor (Japan)

35歳まで企業で勤め上げた自分には、企業だからこそ享受するメリットや強み、逆に不便やしがらみなどはよくわかっているつもりだ。一方、起業については身の回りに多くの実践者の友人を抱えながらも、自分自身したことがなかった。その前提には、冒頭に書いたようなステレオタイプがあった。収益性はどうなの?それで食っていけるのか?など。ただ、”アントレプレナーシップ”の本質を自なりに理解するようになってから以降、その見方は変わってきている。

「フロー体験 - 喜びの現象学 -」 という本がある。かれこれ8年ほど前に、同姓同名収集家の先輩から勧められた本だったが、GoldsmithsのCultural Entrepreneurshipのコースで改めて紹介された。ミハイル・チクセントミハイという、なんだか不思議と耳残りの良いハンガリー出身の心理学者が書いた本。Goldsmithsでの学びの場を通して、自分の”フロー体験”に対する深い理解を促された。フロー体験についてはさまざまな説明があるが、ぼくの言葉で言えば「時間を忘れるほど没頭してしまう体験」のことだ。気づいたら深夜0時を回ってしまったあの作業の体験、のことだ。こういうゾーンのことを”フロー体験”と言い、これを起点に仕事をすることを”好きを起点に仕事をする”と表現をする人もいる。コロナが巻き起こした様々な環境の変化は人々の働き方に大きな変化をもたらしているけれど、これからの豊かな?働き方を妄想する時、”フロー体験”は無視できない。別に「みんな会社に依存せず、起業しよう」とか。そういう話ではない。まずは自分の”気持ち良い体験を起点に”仕事を設計していくことが、個人の喜びにつながり、その個人の喜びの総和が豊かな?社会をつくる。そんなことを信じている人たちが、”アントレプレナーシップ”教育の現場に従事しているように感じた。

こういう話は、どうしても少しフワっとした話になる。そりゃ好きを仕事にできりゃいいよという声が聞こえてくる。現実、好きなだけでは経済性が追いつかないことが大半だ。経済性を帯びていくためには”道具”が必要である。この”道具”の整備、英国ではNestaという機関が担っている。分かりやすく言えば、日本の書店で売られているイノベーションや起業関連の書籍にあるさまざまなツール(アイディアを形にする方法、ビジネスモデルを組む方法 etc…)を、オープンかつ無償で社会に提供している。2014年にまとめられてだいぶ新鮮さはないかもしれないが、これは本当によくまとまっているので改めてここに貼り付けておく。

NESTA DIY Tool KIt

そもそも科学芸術国家基金として(基金ので元を辿れば、英国の多くの芸術関連基金は宝くじ財源で成り立っているのだけど)歩みを始めたこの団体は、近年はもっぱら社会のイノベーションを加速させるための活動を多岐に渡って担っている。社会かつ経済の持続的な成長を考えた時、数多くの”アントレプレナー”が立ち上がった社会に”Resilliencde”があるという考え方。弾力性があり、層の厚い社会になるという考え方。”アントレプナーシップ/起業家精神”を精神論に留めず、”道具”を与える社会の仕組みに日本との大きな違いを見ます。

“アントレプレナーシップ/起業家精神”という言葉は、なんだか少し誤解を孕んでいるるように感じた疑問から、友人の相談を踏まえ。英国での位置付けとの違いまで。

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Mary Wollstonecraftの銅像に、Creative Placemakingの原型を見る。

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“文化資本”の話。おそらく、お金で買えないもの、の話。