Mary Wollstonecraftの銅像に、Creative Placemakingの原型を見る。

ルー大柴の芸風みたく、やたら英語を並べた、感じの悪いタイトルになってしまった。しかたない。そう思ったのだから。ようやく一年生活して馴染んできた家の近所で、ニュースが生まれた。まことにロンドンらしい?出来事な気がして、この場でその件について少し文章を書いてみよう。末尾に少しだけ、近況報告を添えて。

Statue for Mary Wollstonecraft @ Newington Green

Statue for Mary Wollstonecraft @ Newington Green

4日ほど前、いまぼくが住むロンドンは北東、IslingtonとHackneyの間に位置するNewington Greenという小さな公園がざわついていた。遠くからその公園に目を向けて見ると、なにやら銀色の物体がそびえ立っている。その物体の周りには人だかりができ、いつもの閑散とした公園の様子とはちょっと違う。なにかゲリラ的なアートイベントでもあったのかな?と、思ったがそういうことではなく。英国で18世紀を生きたフェミニスト思想家・Mary Wollstonecraft(メアリー・ウルストンクラフト)の銅像が新たに公園に設置された、というのが事の真相だった。

Mary Wollstonecraft finally honoured with statue after 200 years

「なにかと銅像というのは、どこの国でもざわつくものだな・・・」ぐらいなことを思いながら、最初は通り過ぎたのだったが。後になってGuardianの記事がやたらとバズっていることがわかった。再度公園に行くとさらに人だかりができている。そう、銅像ができたことが騒動の理由ではなく、この銅像が裸体であることが、物議を醸していたのだった。フェニミストの銅像が、裸で良いのか!?という理由で。

動画:英フェミニスト思想家の記念像、ヌードデザインが物議

Mary Wollstonecraft(メアリー・ウルストンクラフト)

18世紀を生きた英国のフェミニズムの初期の運動家、知る人ぞ知る社会思想家。”A vindication of rights of woman” (女性の権利の擁護)を記したことで著名で、この著物がのちの男女の機会均等に向けた動き、フェミニズム運動に大きな影響を与えたとされている。彼女が生きた時代は1760-90年。日本でいうと・・江戸時代徳川幕府は10代目将軍のころ。本居宣長が古事記を書くことを決意した頃にあたるそうな。もとい。フェミニズムの萌芽はそんな時代にあったんだなあ。さらに調べて見ると、このメアリーさん、無政府論者のWilliam Godwinさんと、お互い結婚制度に反対していたのに結婚し(子供を授かったのでその子を産むためにやむなく・・・)、二人目の子供を産んだのち、メアリーさんは産褥熱で帰らぬ人に。そしてその二人目のお子さんの名前はお母さんと同じメアリー、そのMary Shelleyは名作「フランケンシュタイン」を記し著名な小説家となったそうな。銅像の背景にあるストーリーを軽く調べたらフランケンシュタインにまで辿りついて驚き。ところでメアリーさんとウィリアムさんの「結婚制度に反対していたが、こどもが私生児になることを避けるためにやむ無く結婚」というところになんだか壮絶な葛藤を想像する。金子文子と朴烈という、韓国と日本の間で恋に落ちたアナキストの恋の物語を思い出した。 映画:「金子文と朴烈

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Magi Hambling(マギ・ハンブリング)と、地域コミュニティ

で、続いてこの銅像の作者。英国のアーティスト。画家、彫刻家。二年ほど前にトランプ大統領を書いたイラストは参考まで。このマギさん、とにかくパンクである。なんだろう、あらゆる記事に写った彼女のポートレート写真、どれもケンカ腰に見える。75歳で、この感じ。カッケー。
‘I need complete freedom’: Maggi Hambling responds to statue critics

メディアは「フェミニズム運動の始祖の銅像を、裸体の像にしたのはいかがなものなんでしょう?」と彼女の創作へクリシティズムを展開するが「女性の完全な自由を表現したかった」と彼女は回答。もっというと、この銅像はなにも Statue of Mary ではなく、Statue for Mary ということで、別に彼女自身を銅像にしたということではないらしい。

それはそうと、この銅像はなぜこの公園に設置されたのか?それは、メアリーがかつてこの地に女性の学生に向けた寄宿舎学校を設立した経緯にさかのぼる。メアリーは、18世紀にこのNewington Greenの地域コミュニティに学校を設立した。教育で地域貢献していたのだ。

で、ここからが一番書きたいポイント。この銅像を立てるプロジェクトは2010年にスタートした。Mary on Green という名で。プロジェクトの音頭をとっているのは Bee Rowlattというジャーナリスト。驚くべきは、10年の資金調達/ファンドレイジングを通して 総額£143,000(約2,000万円)を集めたという事実。10年も資金調達を続けたことに加え、その総額の規模にも驚く。銅像を立てるに必要な規模以上のお金でしょう・・踏まえるべき情報に、ロンドン内に設置された銅像の男女比率の問題がある。現在、ロンドンの銅像の90%が男性の像なのだそうだ。人口比率では、51%が女性なのに対して。いろんなモチベーションがあるにせよ、ぼくが眼を見張るのはそのプロジェクトのタイムスパンと金額規模、そして、それが地域社会のひとびとの手によってなし得たという点だ。力強くないか。10年もプロジェクトを存続させるのってそう簡単なことではない。10年続いた仕事、ありますか?

こんなひとだかりが。数日続いているのです@ Newington Green

こんなひとだかりが。数日続いているのです@ Newington Green

銅像の意味。冒頭でも少し述べたが、銅像は話題に事欠かない。昨年の日本での少女像の話も、いまもなおベルリンで像を撤去するorしない、話は尽きない。今回、自分が住む街に突然銅像が立つという経験を通して、不思議な心境の変化を経験した。銅像の正体を知らない頃までは「あー、なんかできたんだなぁ」くらいにしか思っていなかった。ところが、その正体がMary Wollstonecraftという、いまこの世界で白熱する女性の権利や機会をめぐる運動の重要人物だと知ったところから「おお、すごいものができたな」という気持ちが湧き、イチこのNewington Greenのジモピーとして「ちょっと誇らしいな」という気持ちすら湧いてくるのである。男性の、決してフェニミストですなんてことは言える立場にないこの男性性のぼく(時にとてもマスキュリン!)が、である。

公共空間に意味性を持ち込むことの効能。意味性を持った作品が、街に文脈を与えた。人は200年の時空を超えて、フェミニスト運動の萌芽へタイムスリップする。ただの公園が、その場に変わる。アーティストには、そういう役割がある。そこにぼくは、Creative Placemaking(クリエイティブプレイスメイキング)の原型を見た。と、思いながらクリエイティブプレイスメイキングの定義を引用しようと思ったら。お友達の東子さんの記事が登場!東子さん、引用させて頂きます。

プレイスメイキングって?公共空間活用に向けた国交省の取り組みとは (公共R不動産)

Creative placemaking is a process where community member, artists, arts and culture organizations, community developers, and other stakeholders use arts and cultural strategies to implement community-led change. (American Planning Association)

クリエイティブプレイスメイキングとは、コミュニティ主導の変化を実現するために、コミュニティの構成員・アーティスト、アート/カルチャー関連の団体、デベロッパー、その他のステークホルダーがアートや文化を戦略として使うプロセスのこと。(訳:Sungwon Kim)

銅像をつくるというアジェンダを設定し、地域コミュニティが一丸となる。このケースでは、10年という歳月に渡りプロジェクトを通じて地域社会には絆ができた。銅像ができたら、今度はそれがニュースになった。ニュースになったら、裸だったことも輪をかけて、物議になった。人が見にくることになった。地域に人がたくさん足を運ぶようになった。もしかしたら繁盛するお店も出てきているかもしれない。と、言ったように。結局は、モデルがそのまま、美術館や博物館、テーマパーク、文化施設全般のモデルの根っこにある。地域活性の一つのモデルとなっている。Beyond Material Economyなのである。意味性や文脈、目に見えないものを真ん中に置くこと。あれ、聞き覚えがあるぞ?林曉甫が代表を務めるあの活動をここでリンクしないわけにはいかない。というわけで。NPO法人InVisible     

頭でわかっていることと、体験することとでは雲泥の差がある。自分の街に、銅像が突然降り立ったことで感じたことの記録。と。

晩秋のロンドンより近況報告。卓球台をしまった、フラットの中庭にて。

晩秋のロンドンより近況報告。卓球台をしまった、フラットの中庭にて。

さて。そんなわたしは本日で結婚6年目!あれ、7年目?どっちだろう?ロンドンで家族3人で生活をはじめて丸1年。我が家のヨーロッパ合宿、2年目に突入。実はわたくし、おそらく無事にGoldsmiths,University of Londonの修士生活を終え、学びへの貪欲な気概!を見せた結果、Think Big Scholorshipという奨学金(意訳:「おまえデカいこと考えてるからOK」)に通過し、現在University of BristolにてMigration and Mobility Studiesという二つ目の修士号取得に向けて鋭意挑戦中であります。ブリストルへの移住を考えていましたが、訳あってロンドン生活延長。息が切れるまで、やれるところまでやってみます。広告の世界で養った筋力をベースに、自分の仕事を”社会”や”文化”といったキーワードにもっと近づけていきたい想いで学生に戻りました。まさか移民や移動学の世界にまで足を伸ばすなんて、はっきり言ってだいぶ遠くまできてしまったなと、自分でも思います。でも、そう思う時にいつも、旅をしていた頃のことを思い出します。とんでもないところまできてしまったとき、イエメンの海辺で羊に囲まれて車が動かなくなったとき、マケドニアの国境でビザがなくて警察と一晩明かしたとき、そういう旅の中にいつも発見があった。もう二度と、こんなに贅沢で貴重な機会はやってこないので、日々、大自然のような喜怒哀楽を見せる息子と、光合成をしながら優しく強く毎日を生きる妻に感謝をし、2年目はアクティブに動きます。学業と並行し、仕事づくりにも励みます。家族3人それぞれ、自分の仕事を頑張ります。小さなイカダのような船を、じっくりコトコトコツコツ動かします。コロナで世界が急転換し、あらゆるスタンダードが変化して行く流れを、追い風に変えて。少し早いですが、2020年お世話になった皆様、ありがとうございました。来年2021年もどうぞよろしくお願いします。Wishing you all a very merry Christmas!!

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