NYTimes/Opinioin 「グローバリゼーション」の終わり。「文化戦争」の始まり。

タイトル(原題):Globalization Is Over. The Global Culture Wars Have Begun.

日付:8th Apr 2022. 

著者:David Brooks

訳者:Sungwon Kim

© 2022 The New York Times Company. Permission provided by The New York Times Licensing Group.


わたしが生まれた時代は、幸福な時代だったと思う。もう四半世紀ほど前のことだが、当時は、世界がひとつにまとまろうとしていた時代だと言えるだろう。共産主義と資本主義との間の大きな戦いがいよいよ終わった、そんなふうに感じる時代だった。民主主義が広がりを見せ、世界の国々が経済的に互いに依存関係を深めている時代だった。インターネットが、世界規模のコミュニケーションを生み出す準備をしている、その前夜のようだった。自由・平等・個人の尊厳・多元主義・人権といった普遍的な価値のもと、世界に収束(Convergence)がもたらされる、そういったような時代だった。

わたしたちはこの収束の過程を「グローバリゼーション」と呼んだ。それはまず経済、そして技術的なプロセスとして実現した。国家間の貿易投資の拡大と、それから、指先ですぐにウィキペディアにアセクスできるような技術の普及だ。ところが、実際にはグローバリゼーションは経済・技術的な事象に限った現象ではなく、政治・社会・道徳的なプロセスでもあった。

1990年代に、英国の社会学者アンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens)はこのグローバリゼーションのことを「生活環境そのものにおける変化。わたしたちがいま目の当たりにしている生き方の変化である」と論じた。そしてその定義には、「世界的な社会的関係(Social Relations)が強化されていくこと」が含まれていた。グローバリゼーションとは「世界をどう見るか」、またはそれに関する製品や考え方、あるいは全般的に巻き起こる「文化の統合」のことを指していた。

学問的な理論でいえば、「近代化」理論に合致する。国家が発展すればするほど、国々は近代化を実現した西欧諸国のようになっていく、という理論だ。

世界中の国々は通常、西洋の民主主義国家の成功に憧れ、いずれそれを真似るようになると考えられていた。「近代化」すればするほど、ブルジョワになり、消費に走り、平和を求める。そういう考えが主流だった。社会が近代化すればするほど、ヨーロッパやアメリカの一部が実現したように、宗教から解き放たれ、世俗的になるものだとも思われていた。誰かを征服することよりも、人間はお金を儲けたいと思うようになる。戦争を招く狂信的なイデオロギーや威信・支配欲求なんかよりも、「郊外の家に落ち着きたい」という欲求に駆られるようになる。そんな風に考えられていた。

こうした見方は、歴史がどう進歩していくのか、世界の収束がどうなっていくのかについてのひとつの楽観的な見方だった。現実は残念なことに、この楽観的なビジョンは現代社会を説明するには不十分だったということだ。世界は収束しているのではなく、もはや発散(Divergence)していっているのだ。グローバリゼーションのプロセスは減速し、時に逆行しているケースもある。ロシアのウクライナ侵攻は、この傾向を浮き彫りにしている。権威主義的な侵略に対抗するウクライナの勇敢な戦いは、西側ではインスピレーションとなっているものの、世界の多くの人々は依然として動じず、プーチンに同調している人さえいるのだ。

 

エコノミスト誌によれば、2008年から2019年にかけて世界GDPに比べて世界貿易額は約5%減少したという。新しい関税措置や貿易障壁が相次いで生まれ、移民の流れは鈍化し、長期投資の世界的な流れは、2016年から2019年にかけて半分に減少した。この「脱グローバリズム」的様相の原因にはさまざまな要素が考えられる。2008年の金融危機が、グローバル資本主義を委縮させたであろうこと。中国が国家経済戦略としての重商主義の姿勢を明らかにしたこと。ブレグジット、外国人嫌い(Xenophobic)のナショナリスト、トランプ支持のポピュリスト、反グローバリズム左派など、あらゆる種類の「反グローバリズム運動」が起こったこと。

1990年代の歴史的な空白期に比べれば、世界的な紛争の数は多くなっている。貿易や旅行のみならず、国際政治が脆くなってきている。西側諸国がプーチンという戦争マシーンを敬遠し、何百もの企業がロシア市場から経済制裁を理由に撤退している。多くの欧米の消費者が、強制労働や大量虐殺を非難する立場から、中国との貿易を敬遠している。欧米のC.E.O.の多くは、中国政権が欧米により敵対的であること、さらには政情不安でサプライチェーンが脅かされることを危惧し、中国での事業展開を再考している。2014年、米国は中国ハイテク企業のファーウェイの政府契約への入札を禁止した。バイデンは「バイ・アメリカン(アメリカを買おう)」ルールを強化し、米国政府が国内でより多くのものを購入できるようにした。

世界経済はひとまず、欧米ゾーンと中国ゾーンとに徐々に分離していっているように見える。中国とアメリカの間の海外直接投資の流れは、5年前には年間300億ドル近くあったものが、今では50億ドルにまで減少している。

ジョン・ミクレスウェイト(John Micklethwait)とエイドリアン・ウールドリッジ(Adrian Wooldridge)がブルームバーグに寄稿したエッセイにあるように、「地政学は決定的にグローバル化に逆行し、2つか3つの大きな貿易圏が支配する世界に向かっている」のである。この文脈からして、特にウクライナへの侵攻は「過去40年間、ビジネス思考中心に成立してきたグローバリゼーションの想定シナリオをほぼ葬り去ろうとしている」のである。

おそらく、貿易面でのグローバリゼーションは続くだろう。しかし、世界を動かす原動力としてのグローバリゼーションは、もう終わったように思われる。経済的な競争としてのそれはもはや範疇を広げ、政治やモラルなどの要素と融合し、ひとつの世界的な覇権争いの様相を見せてきている。グローバリゼーションはいま、世界的な「文化戦争」のような形に取って代わられはじめているのである。

もしかするとわたしたちは、「経済」や「テクノロジー」といった物質的な力が人間を動かすという見方に重きを置きすぎていたのかもしれない。こうした考え方は、いまにはじまったことではない。20世紀初頭、ノーマン・アンゲル(Norman Angell)は『大いなる幻想』という本の中で「先進国は経済的に相互に依存関係にあるため、争い合うことはない」と主張した。しかしその後、世界は大きなふたつの大戦を経験することとなる。

実際のところ、人間の行動は少なくとも西洋の合理主義者が理解するような「経済的・政治的利己心」よりもはるかに深い力によって動かされている。この深い動機というものが、いま世の中を動かしている正体であり、歴史を予測不可能な方向へ向かわせようとしているのである。

(※以下に、その正体について3つの点で記述が続く)

第一に、人間は「サイモティック欲望(Thymotic:語源のThymosはプラトン「魂の三分説」で語られる「気概」、自ら進んで困難に立ち向かって行くこと、の意)」と呼ばれるものに強力に動かされている。人に見られたい、尊敬されたい、評価されたいという欲求のことである。もしあなたが「自分は見られていない」「見下されている」「評価されていない」という印象を覚えると、あなたは怒り、憤り、復讐心を抱くことがある。そして、自分が不当に扱われていると感じ、攻撃的な憤りをもって反応することもある。

過去数十年にわたる国際政治は、「大規模な社会的不平等マシーン」として機能した。高学歴の都市エリートがメディア・大学・文化、そしてしばしば政治権力を支配するようになり、多くの人々は、見下され、無視されていると感じるようになった。そして、この民衆の憤りを利用するポピュリストの指導者が次々と誕生している。米国のトランプ、インドのモディ、フランスのルペンなどである。

一方、プーチンや習近平のような権威主義者は、この怨念を世界的な政治空間に適用・実践している。彼らは欧米をグローバルエリートとして扱い、それに対する公然たる反乱を宣言している。プーチンは、1990年代にロシアが西側諸国から受けた屈辱的な経験を持ち出す。そして彼はいま、ロシアの特異性を語り、ロシアの栄光への回帰を約束する。ロシアが世界史における主役の座を取り戻すと語るのである。

中国の指導者たちは「屈辱の世紀」のことを語る。傲慢な西洋人が自らの価値観を押し付けてきた歴史に不満を抱いている。中国はいずれ世界一の経済大国になるかもしれないが、習近平はいまだ中国を発展途上国として語っている。

第二に、人間は、自分の住む土地と国に対して強い忠誠心を持っている。ところがこの数十年の間に、自分の住む場所を以前ほど気にしない人が増え、国家の威厳が脅かされるような局面が増えてきた。グローバリゼーションの最盛期には、多国間組織やグローバル企業が国民国家を凌駕するような存在になってきたのである。

そんな状況から相次いで、国家主権を主張し民族の誇りを取り戻そうとする高度な民族主義的な運動が各国で起きはじめた。それを率いるのが、インドのモディ、トルコのエルドアン、米国のトランプ、英国のボリス・ジョンソンなどである。コスモポリタニズムもグローバルコンバージェンスもクソくらえだ、と彼らは言うのである。自分たちの国を自分たちのやり方で再び偉大にする。多くのグローバリストたちは、歴史を動かすナショナリズムの力を完全に見くびっていた。

第三に、人間はモラルへの渇望、つまり自らの文化的価値を愛しているということ。その文化的価値が攻撃されているように見えるとき、それを激しく守りたいという願望が動く。この数十年間、多くの人々にとって、グローバリゼーションはまさに自文化へ向けられた攻撃だった。

冷戦後、映画や音楽・政治的な会話・ソーシャルメディアなどを通じて、西洋の価値観が世界を支配するようになった。グローバリゼーションのひとつの理論として、世界の文化はこうしたリベラルな価値観を中心に収斂していくという見方があった。

しかしそこには問題があった。この西洋の価値観は、決して世界の価値観ではないということである。実のところ、西洋人は完全に文化的にははみ出し者なのである。ジョセフ・ヘンリッチ(Joseph Henrich)氏は、著書『”The WEIRDest People in the World” 世界で最も奇妙な人々』の中で、何百ページものデータを集め、西洋的・高学歴・工業化・金持ち・民主的な価値観がいかに普通ではないかということを示している。

彼はこう書いている。「”We WEIRD people(われわれ奇妙な人々)”は、非常に個人主義的で、自己中心的で、支配志向が強く、不適合で分析的である。人間関係や社会的役割よりも、自分自身、つまり自分の特性や業績、そして願望を重視する」

ビリー・アイリッシュやメーガン・シー・スタリオンを聴くリスナーが、西洋の価値観を変だなと感じたり、あるいは嫌悪感を抱くことだって十分にあり得るのである。西洋のジェンダー感に関する考え方を見て、それを変だと思ったり、嫌悪を感じることだってあり得ることなのだ。L.G.B.T.Q.の権利を熱心に守っているのを見て、不快に思うことだってあり得るのである。「自分のアイデンティティや価値観を選択するのは、各人の自由です」という考え方を、馬鹿馬鹿しいと思う人だっているのである。教育の目的は批判的思考力を身につけることであり、教育によってこどもたちは親や地域社会から自分を解放する。この考えを、愚かだと思う人だっているかもしれないのだ。

アメリカの高校生の44%が、悲しい気持ち(Sadness)や絶望的な気持ち(Hopelessness)が続いているというレポートがある。アメリカの文化は決して、西洋の価値観の最高のモデルとは言えない。

グローバリゼーションには「収束」という想定があったにもかかわらず、世界の文化はまるで収束しているようには見えず、場合によっては「乖離(Diverging)」していっている。経済学者のフェルナンド・フェレイラ(Fernando Ferreira)とジョエル・ウォルドフォーゲル(Joel Waldfogel)は、1960年から2007年の間に22カ国でポピュラー音楽のランキング比較の調査をした。その結果、人々の嗜好は自国の音楽に偏る傾向があり、その偏りは1990年代後半から強まっていることがわかった。人々は、均質なグローバル文化に溶け込むことを望まず、自分たちの文化を守りたいのである。

数年ごとに実施される世界価値観調査(World Values Survey)では、世界中の人々に道徳・文化的信条についての質問を投げかけている。調査結果の一部を統合し、異なる文化ゾーンが互いにどのように関連しているかを示す地図が数年ごとに作成される。1996年当時、プロテスタント系のヨーロッパ文化圏と英語圏は、他のグローバルゾーンと一括りにされていた。西洋の価値観というのは、ラテンアメリカや儒教圏の価値観とは異なるものの、グローバルゾーンと隣接していた。

しかし、2020年の地図は違っている。プロテスタントのヨーロッパ圏と英語圏は、他の文化圏から離れ、まるで余分に飛び出した文化圏のひとつの半島のように、突き出ているのである。

World Values Survey Association

世界価値観調査協会は、調査の結果と考察をまとめた中で、結婚・家族・ジェンダー・性的指向などの問題に関して「低所得国と高所得国の一般的な価値観の間に乖離が生じてきている」と指摘している。先に述べたように西洋人は長い間、はみ出した価値観を持っていたわけだが、いまや世界の他の国々との乖離幅はますます大きくなっている。

最後に、人々は秩序を求めているということを述べておく。「カオス」と「アナーキー」ほど悪いものはないという考えだ。文化的な変化や、せっかく効果的にガバナンスが効いている状態に崩壊が起こることは、社会の混乱や無秩序を招くように感じられ、何としてでも人々は秩序を求めるのである。

わたしたち民主主義国家の多くは、幸運にもルールに基づいた秩序基盤があり、個人の権利が守られ、自分たちのリーダーを選ぶことができる社会に住んでいる。しかし、世界の多くの地域ではこのような秩序すらままなっていない。

 

世界が経済・文化的に乖離しているのと同じように、政治的にも乖離に向かう兆候がある。フリーダムハウス(Freedom House)は、「Freedom in the World 2022」という報告書の中で「2006年から負の相関がはじまって以來、最大の比率で、16年連続で民主主義が悪化した国の数が民主主義が改善した国の数を上回っている」と報告した。民主主義の不況は長く、深い。グローバリゼーションの全盛期に想定されていたことと異なる現実が起きているのである。

グローバリゼーションの全盛期には、民主主義国家は安定し、権威主義的な政権は歴史の灰の山に向かうと思われていた。しかし現在では、多くの民主主義国家が以前ほど安定しておらず、多くの権威主義的な政権がより安定しているように見える。例えば、アメリカの民主主義は分極化と機能不全に陥っている。一方、中国は高度に中央集権的な国家体制をとっても、西洋と同様に技術的に進歩しうることを示した。現代の権威主義国家は、数十年前には想像もできなかったような方法で、国民を徹底的に統制することができる技術を持っているのである。

独裁的な政権は、いまや欧米諸国の深刻な経済的ライバルとなっている。特許出願の60パーセントは独裁的政権国家が占めている。2020年、独裁的な政権下の政府と企業は、機械・設備・インフラといったものに9兆ドル規模の投資を記録した一方、民主主義政権側は12兆ドルをも投資していた。権威主義的政権に有利に働いた場合、彼らは民主主義政権体制より少額の投資で驚くほどの民衆の支持を得ることができるかもしれない。

わたしが述べているのは、さまざまな局面での乖離である。学者のヘザー・ベリー(Heather Berry)、マウロ・F・ギレン(Mauro F. Gullien)、アルン・S・ヘンディ(Arun S. Hendi)は国際収束(International Convergence)に関する研究の中で、「過去半世紀にわたり、グローバルシステムの中の国民国家は、多くの次元で互いに著しく接近(あるいは類似)した進化を遂げていない」と報告している。西洋人は、自由・民主主義・個人の尊厳に関する一連の普遍的な価値観を一貫して信奉している。問題は、こうした「普遍的」だと思っている価値が、普遍的に受け入れられているわけではなく、さらには「普遍的でなくなってきているように見える」ことである。

 

次にわたしが説明したいのは、特に大国が資源や支配をめぐって競争する中で、乖離が対立(Conflict)に変わってきていることだ。中国とロシアは明らかに、自分たちの支配ゾーンを確立したいと考えている。この中には、冷戦時代に見られたような、歴史的に存在する政治対立もある。これは、権威主義勢力(Authoritarianism)と民主化勢力(Democratization)との間の世界的な闘争だ。非自由主義的な政権は、互いに緊密な同盟関係を築き、互いの経済への投資を増やす。他方、民主主義政権は互いに緊密な同盟関係を構築する。対立の壁はますます高くなる。朝鮮半島は冷戦の最初の主要な戦場となった。ウクライナは、真反対の政治体制間の対立の壁となり、長い闘争の最初の戦場となるかもしれない。

しかし、過去の大国間闘争とも冷戦とも異なる、より大きな何かが今日起きている。これは単なる政治的・経済的な対立ではないのである。政治・経済・文化・地位・心理・モラル・道徳・宗教が、一度に絡まった紛争。さらに言えば、何億人もの人々が、さまざまな面で西洋のやり方を拒否しているということなのだ。

この対立を最も寛大に定義するならば、「個人の尊厳を重視する西洋」と「共同体の結束を重視する他の多くの国々」との間の相違であると言えるだろう。しかしいま起こっていることはそれだけでは説明できない。重要なのは、こうした当然生じてくる文化的差異(Cultural Difference)というものが、権力を拡大し民主主義世界に混乱をもたらそうとする独裁者によって、どのように煽り立てられているかということである。権威主義的な支配者はいまや、支持者を動員し、同盟者を引きつけ、自らの権力を拡大するために、日常的に文化の違いや宗教的緊張、地位の恨みを武器に変えている。文化的差異がそれぞれが置かれている立場の違いへの憤りによって文化戦争(Cultural War)に変質したのである。

サミュエル・ハンチントン(Samuel Huntington)の「文明の衝突」理論を復活させて、何が起きているかを捉えようとしている人たちがいる。ハンチントンは、思想・心理・価値観が物質的利益と同様に歴史を動かしているという点では正しい。しかし、いま世界が目の当たりにしている乖離は、ハンチントンが述べたような画一的な文明の線引きだけでは説明できない。

実際、わたしを最も悩ませるのは、この西洋が掲げる自由主義・個人主義・多元主義・男女平等などに対する拒絶反応が、国家間のみならず国家内部でも起こっているということだ。プーチンやモディ、ボルソナロといった非自由主義的指導者の口から流れる西洋の文化・経済・政治的エリートに対するステータス差別の憤り(Status Resentment)は、トランプ右派[溝口1] ・フランス右派・イタリアやハンガリー右派の口から発される自分たちの身分への不満とかなり似ているのである。

トランプ派は明らかに中国を好ましく思ってはいないが、アメリカにも中国にも共通して複雑な現実が見える。世界情勢を見ると、アメリカではおなじみの赤と青の対立に似た構造的対立が、巨大なグローバル版として見受けられるのである。アメリカは、地域・教育・宗教・文化・世代・都市と農村の境界線に沿って分断されてきた歴史があるが、いま世界はアメリカを真似たような形で分断されつつあるのである。さまざまなポピュリストが好む道は異なるかもしれないし、彼らの民族的情熱はしばしば対立するのだが、彼らが反乱を起こしている対象は同じものなのである。

世俗主義をめぐる議論、同性愛者の権利に関する見解の相違、さらには核兵器問題、国際貿易の流れに加えて身分差別、男性主義、権威主義……複雑に絡みあうこのグローバルな文化戦争(Cultural War)をどう戦っていくのか? これが今日、わたしたちが置かれている状況なのだ。

 

ここ数十年の社会的思考について、「理解」(Understanding)という態度から振り返ってみよう。若かったわたしは冷戦の緊張を実感することはできなかったが、それは残酷なものであったに違いないと思う。ソ連が崩壊したとき、多くの人々が紛争の終結が実現し、未来が約束される感覚を掴んだということが「理解」できる。

わたしは、「謙虚に」(With Humility)現状を見ている。多くの人が西洋やアメリカの文化について「個人主義的すぎる」「物質主義的すぎる」「ほかを見下しすぎている」という批判をしているが、これらの批判は間違っていないと思う。もし、アフリカやラテンアメリカをはじめとする世界中のまだ不安定な国々の人々に、「権威主義者ではなく民主主義国家と手を組むべきだ、我々の生き方の方がより良い生き方だ」と説得するのであれば、今後数年間に訪れるであろうさまざまなチャレンジに打ち勝つ強い社会になるべく、やるべきことがたくさんあると思う。

そして、わたしは「自信」(Confidence)を持って現状を見てもいる。結局のところ、人は「目立ちたい」そして「うまくやりたい」のだ。みな尊厳があり、自分という存在が尊重されていると感じたいのだ。モラルのあるコミュニティーの一員であることを実感したいのだ。いま、多くの人が西洋から軽蔑されていると感じている。彼らは、自分たちの憤りや民族の誇りを代弁してくれる権威主義的な指導者たちに身を投じている。しかし、そうした権威主義の指導者たちは、実は彼らを認めてるわけではない。トランプからプーチンに至るまで、権威主義の指導者たちにとって、民衆は自己顕示欲を満たすための道具に過ぎないのだ。

結局のところ、民主主義と自由主義だけが、一人ひとりの人間の尊厳を尊重することに基づいている。結局のところ、民主主義と自由主義の制度と世界観だけが、わたしが説明してきた衝動や欲望を満たしてくれるのである。

わたしは、未来の行く末を予測する能力に自信を失っている。国家は「近代化」すれば何らかの予測可能な線に沿って発展するという考え方自体に、自信をなくしている。いまこそ、未来がわたしたちの予想とは全く異なるものになる可能性に心を開く時なのだと感じている。

中国は、プーチンに対する西洋連合が崩壊することを確信しているようである。欧米の消費者は経済的な犠牲に耐えられなくなる。西洋の同盟は分裂するだろう。また中国は、西洋の失墜したシステムをそう遠くないうちに葬り去れると確信しているようである。これは、完全に否定できる話ではない。

しかしわたしは、これまでわたしたちが受け継いできた思想とモラルを信頼している。わたしたちが「西洋」と呼ぶものは、民族的な呼称でもなければ、エリート主義のカントリークラブでもない。ウクライナの英雄たちは、最善を尽くして彼らのモラルを示し、尊厳・人権・自決をすべての人に拡大することを熱望している。この営みは、今後数十年をかけてでも取り組み、形をつくり、守り、人々の間で共有していく価値のあることだと、わたしは考えるのだ。


This article originally appeared in The New York Times.

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