祈り。物語。対話。相談室。

Monthly notes. 2022年3月。月刊随筆のならわし。

いま頭の中に浮かんだものたちを、思いのままに綴ってみる。溜まっていた想いを認めたらLong Readになりました。

 

祈り。物語。対話。そして、静かに営業をはじめた相談室について。


祈り

母方の家系が熱心なクリスチャンだったから、食事の前に祈りを捧げる人の姿には親しみがあった。年に数回の韓国帰省時なんかは、久々の親族再会を祝しお祈りは特大号となり、食前数分に渡ってお祈りを捧げてから食事にありつく。そんな光景を目前にしながら育った。

母の信仰心の影響あって、神奈川県のミッション系幼稚園に通った。そこでわたしは「この小さなお祈りを、イエスさまの・・・」という、就寝前の日本語のお祈りフレーズを覚える。この睡眠前のお祈り習慣、そののち10代後半までしぶとく残る。成人以降、飲酒習慣がこの儀礼を妨害するまでは。

不思議なことに、退行したはずの祈りの習慣が、ここのところ、息子を育てながら復活し始めている。

英国から帰国し、3人家族で妻の故郷である大分に里帰りした昨年10月以降、息子の中で祈祷がブームとなっている。食前に、二礼と二拍手。帰郷時に詣でた宇佐神宮で覚えた二礼四拍手がベースとなり、息子はあらゆるシーンで礼と拍手の習慣をせがむようになった。何気ない会話の途中、砂場で遊んでいる時、眠りにつく前に。そして食事にありつくテーブルでもやってほしいと言われた時、韓国基督教式食前お祈り儀礼と日本神道的参拝儀礼が奇跡の習合を果たし、二礼二拍手をしたのちお祈りフレーズを唱えるという、新種の祈祷形態が我が家の食卓で流行している。

食事を終えたのち、滅多につけないテレビを週に二度ほどつけてニュースを見る。インターネット経由で英国BBCのチャンネルを覗き見すると、ウクライナ戦争を報じる欧米メディアの描写は生々しく、3歳になろうとする息子の目に飛び込んで来たのは、ガソリンスタンド前でうずくまる軍服を着た男のうつ伏せの体だった。覚えたての言葉で「これなあにこれなあに」とまくしたてる。それが死体だと返すのは簡単だが、自分の中の倫理観がそれは違うと阻んだ。黙ったまま、答えなかった。

一人一台、画面を保有している時代。あらゆる情報が、ちょっとした隙間にするすると入ってくる。不意に油断した途端、摂取したいかしたくないかの意図が働く前に、どんどん侵出してくる。今月初め、ウクライナの件が起きてから一週間ほどは刻々と変わる情勢を自分の目と耳で確かめたくて毎日ニュースをチェックをしていた。感情に連れて行かれるままに、こんな海外メディアの報道を翻訳をしてみたこともあった。だけど、途中から手を止めた。めまぐるしく変わる情勢、錯綜する情報の中で”事実”を知ろうとすることの意味がわからなくなってきた。その懐疑心から出発して、代わって自分の行動は”お祈り”となっていた。戦地のリアリティを追求するより、いまこの瞬間に家族3人で食事をしていることの感謝の方が大きく感じるようになった。いまこの瞬間に、こうういう時間が持てていない人たちのことを想って祈る。そういう行動に変わっていった。まさか自分が、まるで祖母や母親が呪文のように唱えていた言葉を発する顛末は、予想だにしなかった。見事なまで再生産された信仰心。食卓で二礼二拍手、ケラケラ笑っているそこらじゅうにご飯粒をつけた息子には、まだお祈りの言葉の意味はわからないかもしれない。だけど父親には、お祈りの効能が以前よりくっきりと見え始めている。忙しい日々、圧倒的な情報量に覆いかぶされて、打ちのめされて真実が見えなくなることより、目を瞑ってでも未来志向的になって、新しい言葉と物語を生むことの方が、よりよい人生を生きるためには有効なんじゃないか。そんなことに気づき始めた。

年頭にひとつ決めたことがある。今年は二行でも三行でもよいから、毎日日記をつけること。なんとかこの三ヶ月、継続している。日記をつけると、心が鎮まる。流れすぎる日々を、言葉に残して記録する。認知できる形に出力する。一行のつもりが二行になり、三行になり、そのまま物語のようになることがある。たとえそれが「今日は本当にダメな1日でした」から始まったとしても、自ずと思考は「だから明日はどうしようか」となる。小さい頃に覚えた、呪文のように唱えるお祈りのフレーズに続く言葉たちは、まさに日記に記す内容とほぼ同じ内容だと初めて知った。祈りは日記だった。日記は祈りだった。祈りの効能に、昨今あやかっている。

 

物語

「ナラティブアプローチ」という言葉を初めて知ったのは、2016年に渋谷区で開催された福祉関連のイベントでのことだった。協賛企業を獲得し、デンマーク発祥の対話プログラムを実施してみた時のこと。社会的マイノリティとされる当事者たちが、自身が抱える問題について少人数の輪の中で「語り」を展開する。この語りが、発話者の心の重荷を下ろす作業があり、この語りの効用を「ナラティブアプローチ」と呼ぶことを知った。

ナラティブアプローチを「物語の治癒力」と意訳してみる。とある大学教授の研究室でナラティブ効果についてのレクチャーを受けながら、わたしは母親の書庫のことを思い出していた。「物語」や「神話」についての書籍がたくさん並んでいた彼女の本棚。ボランティアでうつ病患者の電話相談を受けていた母親の仕事の理論的背景には、物語の治癒力があった。自分のことを物語ることが、心の問題の解決に近づくひとつのアプローチだと信じて、母親はその仕事に取り組んでいたのだと思う。

ウェルビーイング。メンタルヘルス。健やかな心を持つことの大切さがいままで以上に強調される世の中のムードを受け、語りの効用は病床を抜け出て、いまやキャリアカウンセリングやコーチングに到るまでさまざまなシーンに及んで来ている。語ること自体に癒される、言語化することで自己認知を高める、自分の進む先について物語を描く。VUCAの時代とか、予測不可能な時代とか、現実社会が不安定なので、フィクションに確実性を求める。少し滑稽な倒錯ではあるけれど、物語の方がブレないと感じる人が多いのかも知れない。少し逸れるが。新興宗教が信者を増やしているとも聞く。

父親をやるようになってから、息子に教えられてばかりである。父親が思春期以来のお祈りブームに沸く中、息子は空前の物語ブーム。眠りにつくベッドで「読んで、読んで」を繰り返し、執拗に物語の摂取をねだる。眠る前に絵本という物語を強烈にせがむ息子をみて気づいた。きっと息子は、ひとは、おやすみの前にたっぷり物語を吸い込んで、安心して、癒しを得て、安寧な眠りに向かいたいのだと。人生は難しいことがたくさんあるので、せめて寝る前くらいは、たとえ嘘だとしても、大きな物語を聞かせてくれと、そういう欲動があるのだなと。寝る前に「わたしに物語をください」そう言っているのだなと。

 

対話

「対話的構築主義」という考え方がある。ミハイル・バフチンというロシアの思想家が提唱した 多声性/Polyphony の概念に通底する考えで、対話の中あるいは関係性の中に”意味”を見出していくようなアプローチだと理解している。自分なりにわかりやすい言葉でパラフレーズしてみる。「Aさんひとりの心中にある考え」よりも「AさんとBさんの会話の中で紡ぎ出された会話」に、”意味”は生まれるとする考え方。対話という行為を通じてのみ、”意味”は生成されるとする考え方。対話的な態度を肯定する考え方。”間”や”関係性”に”意味”があるといするような捉え方。さらに進むと、対話という営為の中に優劣はなく、いかなる対話(響く声)にも特有の価値が宿り、それが響きあうような状態・社会を美しいとするような見方。

祈りは一見、独白(モノローグ)である。一人でペチャクチャ物語をつぶやくような。ところが実態は、心の中の神さまと対話(ダイアローグ)をしている。祈りは、心の中の存在ととの対話の中で”意味”を生み出そうとする営み。「今日もほんとにヘッポコな1日でありましたが、昨日よりは悪くなかったとは思います」などと独白した日は、そういう”意味”性を1日に与えたい日。神様との対話の効能は、どんな1日にも小さな意味づけを可能にする。一人で生きているのに、自己の中に対話相手を設定して、対話から意味を生成する。毎日をそうやってコツコツ意味を築いていこうとすること。構築主義的態度とはこういうことかと。祈りの効能とはそういうことかと、そんな理解を持つようになっている。祈りはかくして毎日を賢く生きるための対話道具であり、コロナで人間関係の分節化が進んだ昨今、孤独の問題はきっと急激に進行したであろう社会の至る所で、セルフケアのニーズは高まっているように感じるし、祈りや瞑想に代表されるようなカジュアルなフォーマットから、オープンダイアローグと呼ばれる精神医療におけるひとつの手法に至るまで、通底するのは「対話がこの世界を開く」とする構築主義的な姿勢なんだなと、理解するようになっている。

 

相談室

そんな風に、息子とお祈りしてケラケラ笑って。毎日を賢く生きる術を実践しながら。理解が深まってきた「祈りの効能」「物語の治癒力」「対話的構築主義」を、どんな仕事に応用できるだろうかと、考えるようになる。家族の幸せを願う小さなスケールより大きくて、世界平和を願う壮大なスケールよりも身近な、自分らしい応用はどんなことかしら、と。

そこで浮かんだのは、身の周りの友人たちの存在だった。自分の目標に向かってコツコツ、時には孤独と戦いながら活動に磨きをかける友人たち。わたしも自分の仕事づくりにいそしむ一人の同士として自分の活動に向き合いつつ、時にそういう友人たちのことを横から応援すること。壁打ちという名の対話の対象となり、ビジョンという名の物語を一緒に紡いで、それらが成就するように一緒に祈ること。

そんなイメージをつくりながら、今月は試験的に幾人かの友人たちと対話を重ねてきた。建築家の友人。グラフィックデザイナーの友人。デッサンを描く友人。ソーシャルワークに従事する友人。ライターの友人。対話を終えた多くの友人から「結構整理された」「一人だとここまで考えられなかった」「忙しくてこう言う作業を最近おろそかにしていた」などのコメントを聞けた。一筋縄にいかないケースバイケースの相談、”臨床”的なコンサルティングスキルは、実は広告の世界でクライアントとクリエイターとの間で汗をかいた数年のキャリアでかなり磨かれていたのかもしれない。複雑な問題をシューティングする力が割とある方だと自己理解ができたし、英国留学時にCultural Entrepreneurshipのコースで学んだ理論や道具があわさって、オリジナルな相談室のイメージがすこしずつ湧いてきた。自分自身の問題は滅法解けなくても、ひとのことだと妙に明晰に分析できることはよくあることで。そういう力で友人の役に立てるなら本望だし、そういう角度で友情を次の段階にバージョンアップできるなら、この上ない幸せである。

「コーチ」や「先生」が持つちょっと縦の関係?を抜けて。下からお尻を押したり、そばで伴走するような横の関係を意識して。”Lateral Action”がキーワードです。こんな小さな窓口を構えています。人知れず、静かにオープンした喫茶店のようなもの。しばらくの間は無料で相談を受け付けています。心当たりのある方は気軽に連絡ください。時間が許す限り、わたしもまずはケースを増やしながら取り組んでいます。自律した多くの個人が、その人ならではの”強み”や”ユニークネス”を生かした仕事をつくっていくことが、文化的に豊かな社会を作る礎に違いないと信じて。

ふざけんな!と憤った、とある春の東京の美術鑑賞にて。息子と。

今月はここまで。春です。

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